話すのと 書くのの あわいに

書きたくてどうしょうもない、しょうもないこと。

いそぎんちゃくの機微

「めぐるさんのイメージは、磯の生き物なんですよね」

コミュニケーションの苦手さについて話していて、ある人に言われた言葉だ。

 

ずっと同じ磯にいつづけるいそぎんちゃく。

潮が満ちると魚やほかの生き物が寄ってくるので楽しくお話しするけど、

彼らが別の話題で盛り上がっていたりすると急に疎外感を覚え、

引き潮の中ぽつんと佇んでしまう、

……みたいな印象があったそうだ。

 

潮目で他の生き物は流れてく。

風が吹いて雲も流れてく。

ああそういうものか、そんな雲も魚も確かにいるよね

って存在を認めるだけに留めておいて、

いちいち落ち込まなくてもいいのでは?

と言われた。

 

確かに。

「誰でもいい」のではなく「この人」だからという思いが強すぎるので、

繋がっていない時間はすべて切れている(=切られている)

と感じてしまうのかもしれない。

 

それで、ぽつん。

 

引き潮は、好むと好まざるとにかかわらずやって来る事象ではあるけれど、

逆に引き潮を「私しかいない世界」だと考えて意図的に作るのも、

手段として有効なのかもしれないなと考えた。

 

自分の磯に、望まない他人の潮が流れ込んでくることもある。

別の誰かが流れ着いて来ることもあるし、

長い間ぽつんとなるままかもしれない。

 

調べてみたら、いそぎんちゃくって光合成もするし、

ゆっくりとなら移動もできるそうで。

なかなか強かそうだ。知らなかったな。

 

引き潮を他人の評価が介在しない時間だと割りきって

楽しめるいそぎんちゃくでありたいね。