話すのと 書くのの あわいに

書きたくてどうしょうもない、しょうもないこと。

頭の中にある辞書

上京していた弟妹家族と、総勢九人で楽しく遊んだ二日間でした。

なぜか甥っ子と姪っ子にモテて、ほとんどずっと両手を繋がれていた私。

手遊びをして、クイズを出されて、お喋りを聞いて、歩きにくいくらい巻き付かれていました。

「精神年齢が似てるから親近感があるんじゃない?」と家族には言われましたが。なんでじゃ。

 

特に姪っ子のお喋りは快活で、ずっと止まりませんでした。

次から次へと言葉を駆使して、いろんな場所に連れて行ってくれました。

 

指で作った輪の中を「押して」と言われて適当に押したら

「今だ、めぐるちゃん、引っ張って!

あ、緑の剣が出てきた!

緑は周りを元気にする力があるよ。

あと、ここのボタンを押すといろんな色になって、キレイだからやってみて!」

 

「私はフェアリーだから空飛べちゃうの。

あそこ(スカイツリーのてっぺん)まで連れて行ってあげようか?

つかまって!

ほら着いた。

スカイツリーにさわれるから。

手伸ばしてさわってごらん」

 

彼女に魔法をかけられて、1歳の猫にされたりもしました。にゃーん。

 

そもそもこのくらいの発想力は、きっと誰でも持っていたんですよね。

大人になっても決して消えるわけではなくて、わざわざ言葉にしなくなるだけで。

時間の使いどころや、馴染む語彙の種類が変わるだけなのかなと。

知識と興味の向く方は変わっていくものだから。

 

それはきっと、一人ひとりの頭の中にある辞書みたいなものではないかと。

同じものを見て同じものを食べても、イメージするものは人それぞれ。

だから、その人の発想に驚かされたり、感動したり出来るのかな。

それが広くて多いほど人生を楽しめそうだから。

まだまだ自分の辞書の言葉を増やしていきたい、なんて考えた日でした。