話すのと 書くのの あわいに

書きたくてどうしょうもない、しょうもないこと。

日暮れの暁、休日投稿。

家族のみ帰省して、年越しはひとりだヤッホイ!

と思ってたんですが。

知人に誘われ除夜の鐘を撞きに行くことになりました。

その前に大きな文具屋さんに寄って、紙を眺めるのが楽しみです。

(順調に創作邁進しております)

 

今年最終日なので、最近ずっと考えてることを並べに来ました。

来年の目標にもなりそうです。

その人の当たり前を押し付けないってこと。

『常識』にも『当然』にも、必ず誰かのバイアスが入ってる。

 

人を信じるってもしかしたら、その人の中で『この人はこんな人』というイメージを信じているのかも。

だから『裏切る』なんて言葉はエゴでしかない。

あなたが知らなかっただけで、『裏切った』その人自体はなにも変わっちゃいない。ただ新たな一面を知っただけ。

それでもぶれずに、受け止められるかどうかが、信じるということなのでは。

 

…ってことを、あしだまなさんが仰ってるのを、クオーラで読みました(又聞き笑)

確かに。

そこを取り出して『裏切られた』なんて、その人の何を信じていたのでしょうか。

相手を知ることなんて、出来るわけがない。

縁あって気持ちや行動を共に交わすことになっているだけであって、当たり前だけど違う人間だから。

知ることが出来るのは、いつもほんの一面。

 

第三次大戦はまだ続いています。

別に『裏切られた』なんてことは思ってないけど、

無意識にそうするのと、意識してそう務めるのは大分違って来るんだろうなとも思ったり。

 

むしろ、こんなに何もかも違ってたのによくぞ一緒にやってくれたよなあ、という妙な感慨が湧いています。

 

それにしても、あしださんの深い言葉は圧倒的な読書量と理解力に裏打ちされてるんだなあ。

もっともっと読みたい。

だけどそれより

もっともっともっと書きたいです。

 

エンドレスな悩みですね。

 

良いお年を!