話すのと 書くのの あわいに

書きたくてどうしょうもない、しょうもないこと。

文字が開くタイムカプセル

巷にはよくある話ですが、ちょっとだけ複雑な家庭環境でございまして。
今思うとそのせいで、幼い頃より書籍に逃げ込みがちだった気がします。

ページを繰っている間だけ身体はそこになく、自由自在に知らない場所に行けたり、登場人物に起こる出来事を一緒に体験したり。
その感覚が心地よかったです。

中学以降、部活や友達づきあいが楽しくなってくると、あまり読まずに済んでいました。

本来私に取っての読書は、生き延びるための心の糧、だったのかもしれません。

高校の頃は、立ち読み自由の古本屋さんに入り浸ってました。
なんとなくもやもやとしていることを、こんなに的確に文章に変えられる人がいるなんて。
大人が書いているのに、どうして私たち世代の考えてることがわかるんだろう。

などと不思議に思いながら、詩集や今で言うライトノベルを、立ったまま飲まず食わずで何時間も読み耽っていました。

 

人の記憶って、時間の経過と共に事実と離れていくところがあります。
特に、鮮明になるところとぼやけるところの格差はどんどん開いていって、本当はどうだったのか、あの時あの人はなんて言ったのか、何が真実なのかなんて、誰にもわからないものなのかも。

それがある日、全然知らない人の書いた物語や手記と、自分に起こった(と読み手が思い込んでいるかもしれない)こととを、勝手に脳内でリンクさせて、感動したり泣いたりさせてしまうんだろうなぁと。

文字によって不意に開かれるタイムカプセルというものも、あるのだろうなと思うわけです。

 

なんてね。パリピ孔明見ながら考えたこと。
過去も未来も繋がってる。
人の出会いが繋がってく。
描いてた夢はまだだけど、
想像を超えた未来もあった。
タイムカプセル。

Eikoさんの歌はとても良いです。

 

 

実はこの後、叶うと想像すらしていなかった今年いちばんの推しイベがあるので、今日は少しだけ早め投稿なのでした。
ソワソワソワソワ。

 

※790字