話すのと 書くのの あわいに

書きたくてどうしょうもない、しょうもないこと。

チョコチップ

 急な雨で、夫を駅まで迎えに行った帰り道、久しぶりに駅向こうのパン屋さんに立ち寄ることにした。
 その店は、うちからだと駅を挟んだ反対の商店街の外れにあって、改札口からでも歩いて十分はかかる。
 在宅勤務に切り替えたら仕事の合間にどこでも行ける、と期待していたのだが、現実はそう上手くいくこともなく、お昼を食べていてもメールしたり電話に出たり、落ち着かない日々が続いていた。
 普段はなかなか行くタイミングがなかったし、夫に話したこともないけれど。私は、そこのとあるパンが密かに好きなのだ。

 並んで傘をさして、取り留めもないことを話しながらだと、意外とすぐにお店に着いてしまった。
 午後六時のパン屋さんは、閑散としている。主だったパンは売れてしまって、店内にはところどころ空白の棚があった。
 夫は入口に近い棚から周り始めたが、私は迷わず食パンのコーナーに向かう。
 あった。チョコ食パン。しかもチョコチップ入りの方も。外はカリッとしていて、中はしっとりふわふわ。香りもしっかり広がるこのパンが、私のお気に入りだった。
 チョコチップが無くても十分美味しいのだが、ある方がプチプチして、更に食感が増すのだ。わざわざ遠回りしてまで買いに来るのは気が引けるけど、こんなふうにたまたま立ち寄って残っていると、とても嬉しい。

 レジでお金を払っていると、夫が隣にやって来た。
「なに? チョコの食パンのチョコチップ入り?」
「そ。プチプチして更に美味しいんだよ」
 自分で作った訳でもないのに、私は謎に得意げに言う。
「なくてもいいって人もいるけどさ、私はあった方が好きだな」
 私の言葉に、お釣りを渡してくれた店員さんが「その通りなんです」と大真面目な顔で頷いて「ありがとうございました」と頭を下げた。チョコチップ愛に対して、お礼を言われたような気がした。

 店を出て傘をさし、来た道を戻る。夕飯なんにしようかなあと考えていたら
「今日さあ、このままなんか食べて帰ろうか」と夫。
「なんで?」
「ん~、なんとなく。仕事の話とか、そういやあんま聞いたことなかったなと思って」
「あ……」
 もしかして、さっき愚痴を言い過ぎちゃったのかな。
「僕の方は、ちょっと落ち着いてきたからさ。まあ、そんな大したことは出来ないんだけど。聞くだけ、とかしか」
 駅前の定食屋、まだやってたかなあ。魚が食べたい気分だけどいい?
 立ち止まって、さっそく定食屋の営業時間を調べているらしい夫を見ていたら、『その通りなんです』と言った店員さんの顔が浮かんだ。
 他の人にはあってもなくてもいいかもだけど、私はないと物足りなくて、すごく寂しくてきっと困る感じ。
「なんか、あなたってチョコチップみたい」
「え?」
 夫が、半笑いの変な顔でこちらを振り向く。この人のちょっとした顔は、時々とても変なのだ。
「それ、褒めてないでしょ? どう考えても頼りがいなさそうじゃん」
「いやいや。スーパー最大級に褒めてるよ?」
 急に気分が軽くなって、私は夫に並び雨の街をまた歩き出した。チョコチップ入りチョコ食パンの入った袋を、片手で大きく振りながら。