話すのと 書くのの あわいに

書きたくてどうしょうもない、しょうもないこと。

どうしようもない私を

どうしようもなさにまつわるスペースを偶然聞いていました。

どうしようもない自分でも人とは関わりたい、どうしようもない自分で関わるしかないって、すごいジレンマじゃないかという話。

 

『わたしはこんなだけどあなたといたいし、あなたとかかわります、って、自他境界をしっかり引いて伝えること。
それで相手がノーだったら、人間関係は相互関係なので仕方ない。
リスペクトしながら自分を差し出す、ってことを繰り返すしかないね』

 

すごく分かるけど、これをやり続けるのってすごく難しいですね。

こんな自分でもいいって諦めるか、もしくは許すかして一旦は許容していないと、こんな境地には至れないのでは。

 

世の中はなんでも、バランスとタイミングで出来ていて、ご縁ってものもあるでしょうけど、

「なんで今そこー!」

ってなること、ざらにあるものねえ。

結局は、”こんな自分”が前へ前へ出てきてしまう。

 

『例えば私がなんもしないで立ってるだけでも、それが耐え難い人はいる。

関わる事を許される、って関係を作るのは、本来とても大変。

関わってもらって当然だと、みんな思いすぎでは』

 

すべての相手にこんな風に思えれば、もっと穏やかな人間関係になるのかな。

基本的には”生きていてごめんなさい”の国に住んできた人なので、

優しくしてもらうとしがみついてしまうところがあるのかもしれない。

それが相手に重かったり、自分のことを信頼してないと言わせることになるのでしょうか。

 

ああ、私本当に、言語化が下手だな。

自分の気持ちひとつまともに紡げないで、架空の人の気持ちが描写出来るんだろうか。

 

こんなどうしようもない私を、読んでくれてありがとう・・・!

 

 

《今日の野菜》

昨日はメモのタイミングを失ってしまったので、2日分!

・大根(きんぴら風) 

・ふかし芋(八百屋のおまけ)

・大根(煮る)

・にんじん(パスタ)

・カット野菜(味噌汁)