話すのと 書くのの あわいに

書きたくてどうしょうもない、しょうもないこと。

魂の世話をせよ。

あの時きみが「は?」って言った。
その短い言葉が、何日も刺さって抜けない。

 

起こった出来事があまりにも大きすぎると、文字の世界に逃げ込んでいる。

そんな生活、もうどのくらい続けただろう。

 

父親には役に立たん本ばかり読んでと叱られた。

クラスメイトとは話が合わなかった。

国語教師には煙たがられた。

 

だけど私は、いつも何かが上手くいかなくて。

落ち込む代わりに、ますます本にのめり込んだ。

 

特売の大根を凄い勢いで切って、これまた特売の鶏肉と煮る。

醤油と味醂を回しかけ、ぼんやりとアクを取りながら、お気に入りの炭酸のプルタブを開けた。

 

料理当番の時だけ飲むことにしているそれを開ける時、いつもプシュッと小気味よく聞こえる音も好きだった。

なのに、今日は少しだけ濁って響いた。

文字にするならプシュケッ、と。

 

プシュケ。

それって、ギリシャ語かなにかで、生命とか心とか魂って意味じゃなかったっけ。

ソクラテス曰く、

「よく生きる」ためにはプシュケを気遣え。プシュケの世話をせよ。

 

玄関のドアが開く音。母が勤めから帰ってきた。

「ただいま。あー、いい匂い。お腹すいちゃったー。今日なあに?」

「……大根煮てる」

「やったー」

 

プシュケは、確か文脈で意味が変わるのだ。

まずはこの人のプシュケの世話をしよう。

そして明日は「は?」の意味を、怖いけど頑張って聞いて。

どうなるかわかんないけど、私から謝ろう。

 

アクを取り切った鍋を覗いて、私は炭酸を飲み干した。

 

(30分)