いつも内面が騒々しい
文字を読むのは物心付いた頃から好きで、文字を書くのも、同じ頃から同じくらい好きでした。
インプットする自分とアウトプットする自分と生活する自分に分身して、時折意見交換すれば、生きていく上でバランスも効率もいいのではないか、となんとなく考えてきました。
しかしながら、最後の奴を誰がやるかで、脳内喧嘩が始まります。
知恵も体力も互角なので、もし分身した後に戦闘にでもなったら、相討ちの死体が三つ転がるだけです。超迷惑。
かと言って論理戦にしようものなら、もう単純に、どちゃくそ煩いだけだろうし。超超迷惑。
それで未だに、実行に移せないでいます。
アウトプットしないでインプットばかりしていたい気持ちも勿論あります。
だけどそのうち、保持だけして溜まる一方な感覚に、内側から押しつぶされそうになってしまいます。
それが、内面が騒々しい感覚、ですね。
ほんと、いつも騒がしい。
傍から見ていると、ぼーっとしているようにしか見えないから、困ったものです。
一方で、書き留めるのが追いつかず、手のひらから言葉がこぼれ落ちてしまうような心許なさは、ブログを始めてから少し軽くなったような気がしています。
この心許なさは、実は少し厄介で。
主に学生時代、私はこの手の謎の恐怖に追い立てられていました。
今のあれこれを残しておきたい!
読まないかも知れないけど、読もうと思えばいつでも読めるようにしたい!
ただ過ぎ去ってしまうのが勿体ない!落ち着かない!
というもの。
その日の出来事や考えを、脳から紙にただひたすら写し取るために、日記を書いていたんです。
今読み返しても、あまり面白くありません。
インプットとアウトプットが上手く回らないと、結局は創作まで循環していけないのではないかと考えるきっかけが、このところ何度か立て続けに起こりました。
これはどこかで読んだのですが、物事には、なんでも然るべきタイミングがあるそうです。
なので、こんなに時間がかかってしまったと嘆く必要はなくて、むしろ、最初にやろうと思ってから、ここまで諦めずによく待てたな、よい待機時間を持てたな、と考えるのが良い、と。
だからそういった類の、言葉の周りでぐるぐるしてしまうイナナウ(IN&OUT)な事態を、『創作までの待機記録』と呼ぶことにしてカテゴリー分けしてみます。
果たしてどう作用するのやら。
目指せ、心地好いバランス!