話すのと 書くのの あわいに

書きたくてどうしょうもない、しょうもないこと。

平等ファンタジー

「平等」ってかなり怪しい概念だと、個人的には思っていて。

 

そもそも価値観や能力など完全に一致してる状態でないと成り立たないのに、当然ある差を無視して、単なる現状を起点に「平等」を目指しても、何の変化もないのでは?

むしろ「公平」や「対等」こそが、目指すべき概念に近いのかなと最近考えます。

 

まだ出先なので手っ取り早くweb辞書で比較してみると、

 

「平等」→差別がないこと。一様に等しいこと。法律や理念などのレベルでよく用いられる。 


「対等」→二つの物の間に優劣上下の差がないこと。特に、互いの実力について差がないことを表わす場合に用いられる。 


「公平」→判断や行動が偏っていないこと。 

 

よく使われる『男女平等』についても、

「『男女平等』とだけ表現せずに『女男平等』も認めるべきでは。それこそが正に『平等』でしょう」

と言った知人がいて、なるほど一理あるなと感じたこともありました。

 

経験上、対等も公平もこの世には存在しないだろうと概ね解ってはいるのですが。

(そんなこととうに織り込み済みで、その上で社会は「平等」と言っているの?)

それでもつい忘れて求めたくなって、現実にはたき落とされている。
そんなことの繰り返しな気がします。

 

そう考えていくと、やはり「平等」はファンタジーなのかな。

人生のスタートからして、誰一人、選べる人も同じ人もいないから。